公開日:2024年4月25日
本論文は、(1)『コクリコ坂』と戦争の影および近代小説の構造、(2)『風立ちぬ』と宮崎監督の教養小説、(3)構造・脱構造/二人の監督とジブリを推進するもの、という3項目からなる文芸評論です。
この文芸評論の主題は、いわゆるポストモダンの文芸評論に対抗して、現在の主流のサブカルチャーが、どのように現在の日本社会の「モダニティ(近代性=Modernity)」から解釈できるのかを示すことです。ここでモダニティとは、マルクス主義文芸評論家レイモンド・ウィリアムズの以下の考察に従うものとします。ウィリアムズは、以下の三段階を含む現在を「文芸評論における近代」と見なしています。
『19世紀末に急速に発展していた(文芸の)動きを、大きく三つの段階に区分できる。第一の段階は革新的集団の登場であり、芸術の市場が支配的影響力を強めていった過程で、これらの革新的集団は自分たちの芸術の実践を守ろうとし、公式の高等教育機関の無関心に対抗するようになった。次に、彼らは芸術の(既存の)市場に対して対抗的になり、もっと過激に革新を展開する集団(=「モダニズム」)に発展し、芸術の制作と配信と公開にかんする独自の機構をもとうとするようになった。最後に、この集団は完全に反体制の立場の組織(=「アヴァンギャルド」)に発展し、単に自分たちの仕事を展開するだけでなく、文化の領域で体制の側にいる敵と、これらの敵に権力を与え、権力の行使と再生産を行わせている社会秩序の全体を攻撃する意図を持つようになった。』[1]
ウィリアムズが定式化した段階的な発展図式は、19世紀末から20世紀にかけて生じたマクロの局面だけでなく、それぞれの芸術の領域ごとに、また文芸産業のより細分化された領域ごとに、技術的・文芸的革新を契機として随時生じるものであり、また実際に無数に生じていると考えられます。
本論文の主張は、ジブリの作家性が、ここでいうモダニズムおよびアヴァンギャルドに結び付いている、ということです。ここから彼らの指向する社会思想と倫理観は、個人の啓蒙と自律性を重視する強いリベラリズムになります。このリベラリズムは、政治思想としては、伝統的・共同体的諸権力に対する根深い反発、文化的指向としてはブルジョワの離反者としての立場を取ることになります。しかし同時に市場経済指向を強く持ち、商品経済のトレンドを創り出すことによって、グローバル市場に独自のニッチを確立し、これによって社会的地位を確立しようとすることになります。
本論文の結論として、以下の2点を論証するものとします。まず第1点として、スタジオジブリの作品性はウィリアムズの提起した段階論に沿って発展してきた。またアニメの作品性は近代小説と通底する部分が多い。また第2点として、したがって彼らの作品はポストモダンの観点ではなく典型的なモダンの作品として理解すべきだ、ということになります。
『コクリコ坂』の劇中歌「紺色のうねり」は、宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」(1927年)を本歌にしています。カルチェラタンで弁論部が同じ詩を朗読しています。
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ
そもそも出典となった宮沢賢治の詩にあるのは戦争と革命、深い諦念と高い意志の飛躍です。逗子開成高等学校をモデルとした港南学園──こちらは男女共学──の生徒さんによる「紺色のうねり」の合唱は、ほとんど「ワルシャワ労働歌」の域に達している、ということができるでしょう。
『コクリコ坂』という作品には、拭い難く戦争が影を落としています。それは主人公の男の子と女の子が、過去の戦争──第二次大戦と朝鮮戦争──で父親を亡くしているから、というだけではなく、将来に向けて、現在の日本にふたたび戦争が影を落としている──今回は日本の侵略では無く、大陸から島国に落とす影──からです。宮崎監督の作家性は、いつも時代の無意識を作品に反映させているのです。
宮崎監督は戦争の悲惨さを、特異でマニアックな、しかし史実に則したかたちで強調しています。つまり男の子の父親は戦時徴用された商船隊の幹部乗組員、女の子の父親は米軍の要請に応じて朝鮮戦争に参加したLST(Landing Ship Tank: 戦車揚陸艦)の船長でした。二人の父親は戦争の華やかさとは無縁の『最貧前線』で亡くなっているのです。時代の彼方に膨らみ高まった「紺色のうねり」とは、この戦争の影に他なりません。
そして「紺色のうねり」は、戦争の大波に没することなく、確固として佇立する山脈であること、つまり自律する個人であることを生徒達に要求しています。
このような暗い時代設定を持つ『コクリコ坂』が、なぜ立派なドタバタ×ラブコメ(romantic comedy)になるのでしょうか。それはこの作品が、主人公の女の子の解放の物語だからです。
何からの解放か。それは理不尽な死を遂げた共同体の構成員=父親に対する正義=娘としての美徳からの解放に他なりません。ここにおいて『コクリコ坂』は、アンチゴネ的な葛藤劇ではなく、家父長的イエ社会の封建的道徳=エレクトラ・コンプレックスからの解放というストリンドベリ的な近代劇のかたちをとることになるのです。
それではなぜ、1964年の日本に前近代性を設定することができるのか。近代小説が叙述するところの近代性が、前近代性を解放=合理化する過程であるとして、「それでは何故、前近代性は蕩尽してしまわないのか」という問いが一般に成り立つのです。
再帰的近代化論者ギデンズは、ニーチェを引いて「実は近代は伝統(=前近代)を再生産し続けているからだ」と答えています。つまり宮崎監督の作家性は、最貧戦線で戦った父親の世代を使って、またそれに先立つ日露戦役の国民詩人宮沢賢治を援用して、1964年の封建的家父長制度という、遅れてきた前近代を――そこからの解放の確かな可能性とともに――物語のなかで再生産しているのです。これが1964年当時の家族をめぐる時代状況として歴史的事実であったことも物語世界のリアリティに結び付きます。このように物語の構造から前近代が再生産される以上、物語のダイナミズムは「モダンからポストモダン」へ、ではなく、「前近代から近代へ」であり続けるのです。
騎士道物語という封建制の伝統を、データ的に2次利用したのが、セルバンテスの「ラマンチャの騎士」です。ドン・キホーテの背景を知ると、それが中世騎士ファンタジーのオタク=郷士ドン・キホーテの末路を描いた小説であることが分かります。そして『ドン・キホーテ』は近代小説の嚆矢だということになっています。[2]
作品の趣旨は違いますが、ラマンチャの騎士の物語構造はコクリコ坂と同じですね。まず前近代=伝統的観念を措定し、非合理にもこれに固執する主人公のドタバタとして作品の駆動力を作り出すのです。
あらかじめ解放されるべき観念に拘泥する主人公を設定し、その主人公の一見無軌道な活躍──これが実は近代人の動きであるところに共感と悲喜劇とペーソスが生じます──が周囲を巻き込むかたちで物語が進展する、そういえば、このままではかわいそうに海ちゃんはどうみてもドン・キホーテですテ。
私が心配なのは海ちゃんの理数系の成績です。彼女は医学部志望だというのですが、はたして入試は大丈夫でしょうか?
中国海軍艦艇が尖閣周辺を航行:下関条約締結日に合わせ?中国、メディアを使い宣伝
『産経ニュース』2013.4.1720:32
【北京=川越一】中国国営新華社通信などは17日、人民解放軍海軍の南海艦隊に所属するミサイル駆逐艦などが同日午前、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域を航行したと報じた。この日は、118年前の1895年に日清戦争の下関条約が締結された日。同諸島の「主権」を主張するため意図的に航行し、中国メディアを使い宣伝した可能性が高い。航行したのは、ミサイル駆逐艦「蘭州」とミサイルフリゲート艦「衡水」から成る遠洋訓練編隊。
宮崎駿監督の作家性が近代主義者に他ならないことは、前作『コクリコ坂』で明らかになったが、今回の作品『風立ちぬ』では、教養小説というかたちで、近代主義者としての作家性を再度提起している。『コクリコ坂』が『ドン・キホーテ』を始祖とする近代人の封建的伝統からの解放と、そのイロニーという作品群に連なるものだとすれば、『風立ちぬ』は、『若きウェルテル』を始祖とする古典的市民社会のブルジョワ教養小説に連なるものである。
『風立ちぬ』の構成は、これまでの宮崎作品からの大きな逸脱によって特徴づけられる。すなわちこの作品全体の駆動力は、少女=女性性の持つ神秘的な問題提起──インダストリアの逃亡者ラナや、古代高度文明の継承者シータ──および、少年の活躍による少女の抱える問題の解決、というものではない。
主人公=堀越二郎のモチベーションは、何よりも彼自身の上昇志向──文字通り空を飛ぶ──と、男性性を体現した先達のロールモデル──イタリアの航空機設計者ジャンニ・カプローニ──によって与えられるのである。
このために『風立ちぬ』は、これまでの作品のなかで、もっともマチズムの横溢した作品になっている。件のタバコ問題はその一例に過ぎない。これに対して作品の女性性は、主人公に寄り添い、活動を見守るかたちで与えられる。あたかもウェルテルのミニヨンのように。その女性は憧れに満ちているが不具である。『君ヨ知ルヤ南ノ国、白キ鳥ノ飛ブトコロ…』
教養小説が悲劇で終わることには何の不思議もない。このような教養小説は、近代化の人工国家においてのみ成り立つのである。そこでは中産の子弟の夢が、美しいままに上昇志向として、国家目的と合致する。いや、そこでは国家の存在理由が、男性の自己実現と合致して称揚されるのである。そこでは男性が女性性によって人生の謎に包摂される必要はない。その代わりすべての決算は死産となる。
20世紀初頭にあたって、このような人工国家は、世界システムに3つ存在した。すなわち、プロイセン=ドイツ、イタリア、そして日本である。主人公のグループがユンカース航空機製造会社(Junkers Flugzeugwerke AG)──Junkersという社名はそもそもプロイセンの土地貴族の総称ではなかったのか?──から、その権威主義とともに大いなる啓示を受けたのは象徴的ではないか?
じつは、このような航空機産業の在り方は、英・米では考えられない。英国の航空機産業は、貴族とアマチュアリズムのものであり、米国では端的にコマーシャリズムに由来するものであった。スーパーマリンの設計者はシュナイダー・カップ優勝機の設計思想を英国の主力戦闘機につないだし、またデハビランドの設計者はロンドンの百貨店が主催した長距離レース機の設計思想を高速爆撃機につないだのである。三菱発動機製造とのなんたる違い…。
人工国家の末路はロマン主義の悲劇であり、人工国家の主人公たちはそれをあらかじめ肯定している。ロマン主義の本質は非合理性であり、それは一瞬の酩酊である。その意味で、ひとり生き残った主人公に、カプローニが述べた最後の言葉は正しい。すなわち、死=現実=女に至るまでの時間には、まだ美味しいワインとなすべき仕事がある。たとえばYS-11の設計とか。
航空機設計者アニメのシリーズ化を望みたい。まず2作目として、第一次大戦前後のハインケルが面白いと思う。
エルンスト・ハインケル『嵐の生涯:飛行機設計家ハインケル』松谷健二訳、フジ出版社、1981年。
ハインケルのこの自叙伝は無類に面白い。ハンザ・ブランデンブルグ航空機製造会社(Hansa- und Brandenburgische Flugzeugwerke AG (HBF))が、オーストリア・ハンガリー帝国海軍の注文に応じて製造した戦闘飛行艇W-13は、何とハインケルの設計であったとのこと。つまりアドリア海で(人間だった頃の)ポルコ・ロッソと戦闘飛行艇どうしの対決再演(『ポルコ・ロッソ最後の出撃』)が期待できるであろう。
『彼のために私は「(Hansa Brandenburg)CC」を造り、それによってパンフィールドは、ほとんどは敵の優勢のもとに闘われたアドリア海上空での無数の戦いにおいて、数十回の勝利を収めたのである。』(同書73頁)

http://www.fiddlersgreen.net/models/Aircraft/Hansa-Brandenburg-CC.html
あるいはベルリン東南のヨハニスタル空港(Flugplatz Johannisthal)を舞台にした青春群像劇も良い。1920年代に、フォッカー航空機製造やアルバトロス工業が集まって、初期ドイツ航空機産業のメッカとなったヨハニスタル空港には、90年代初期のシリコンバレーの熱気があった。才気溢れるオランダ人フォッカーに設計競争で破れ、苦悩する若きハインケルにアプローチする謎のイタリア人大富豪カミロ・カスティリオーニ(美形/ワク(灬ºωº灬)テカ)。かれは後に企業家として生長したハインケルのメンターになった。これは二郎とカプローニの関係そのものではないか?ハインケルを見れば、近代国民国家と生長をともにした航空機設計者の栄光と失落が共通であることもわかる。これについてはイタリアから必読の寄稿がある。イタロ・カプローニ「祖父ジャンニ・カプローニが生きた『紅の豚』の時代」[3]
さらに3作目がある。当方の押シはセバスキー(Alexander P. de Seversky)である。1894年にグルジア貴族の長男として生まれたアレクサーンドル・セーヴェルスキイ(アレキサンダー・セバスキー)は、父親の指導によって子供時代から飛行機を操り、第一次世界大戦が勃発するや、ロシア帝国海軍航空隊の操縦士になった。
彼はバルト海で飛行艇を操って活躍し、撃墜されて片足を失ったが、義足で復帰し、13機撃墜のエースパイロットになった。ロシア革命の後、軍事使節団の一員として米国に派遣されると、さっそく亡命、1931年にセバスキー社を設立して社長、設計者、テストパイロットをつとめた。セバスキーP-35(競争試作は九試単戦の3年前)は、全金属低翼片持ち式の革新的な航空機で、これを発展させたのが、あの高高度重戦闘機P-47サンダーボルトである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/P-35_(航空機)
もちろんセバスキーには、独・日の同時代者の奥深い悲哀はないと思うが、フラットな明るさがあるにちがいない。ハインケルはもちろん豚、セバスキーは是非、犬で。
『ポニョはこうして生まれた:宮崎駿の思考過程』は、作品の準備期間から絵コンテが出来上がるまでの約2年半、NHKのディレクターが宮崎監督に密着取材した貴重なドキュメンタリーである。
この記録を見て驚くのは、『ポニョ』のエンディングが最後まで決まらない、という、その制作手法である。動画作成と並行しながら、つまり実写で言えばクランクインの後になって、監督がひたすら脚本とあらすじを改訂し続ける。自分で脚本を書いた黒澤明も、これには驚くに違いない。
この制作手法は、ロケもスタジオも不要、すべてが手作業のアニメーションで、しかも制作を内製化したジブリにしか出来ない利点を持つ。つまり『人魚姫』をなぞった類型的な異種婚礼譚、その物語的構造を前提としてはじまった物語の制作が、なにか訳の分からない、しかしとてつもなく面白い物語性に構造転換するのである。NHKのドキュメンタリーを見る限り、この変容は、封切の日程から逆算したギリギリの予算的・資源的制約という最大限の圧力と、スタジオの総動員体制の祝祭的な熱気によって生み出されている。監督はこの圧力を熱源として、物語を仮想空間に定式化し、さらにその構造を転換するのである。
登場人物が、物語世界内で人間関係を確立し、跳んだり跳ねたりする実際の活動によって、その物語構造じたいが変化する、という点は重要である。これについては物語構造内の複雑系に、自己組織システムの時間的軌道における構造のズレが生じ、そのバタフライ効果を監督が絵コンテとして再定式化する、と表現するのが一番良い。この変化は、脚本家自身の予想を超えると言う点から、すべての観客の予想を超えるものであって、定義的に自律した──情動的な──キャラクターが立っており、これが宮崎作品に特異な無類の趣向をつくりだすのである。この脱構築の操作によって、はじめてキャラクターに全身的な感情移入のできる物語空間が多次元宇宙の一角に実体化する、と言ってもよい。
このような情動によるキャラクターの自己組織化と対照的な制作手法について、『平成狸合戦』──豚の次にスタジオジブリが採り上げたのは狸である──の制作意図を高畑監督は次のように述べている。
『つまり、これは感情移入型の映画じゃないわけですね。すべて、構成からなにから全部そうしています。(中略)これは集団の運命を描いているんですから、主人公さえはっきりしていない。タヌキの運命はこれからどうなっていくのか、多摩のタヌキ集団はどういう運命の変転にさらされていくのかということがまず第一で、そこに感情移入してもらいたいんです。』[4]
高畑監督の目指すところは、ショーロホフのような歴史的集団劇であり、そこには唯物史観的とでも言いたいような、社会変化の時間的な構造性がある。(!)それは逸脱を許さない歴史的事実に基づいたドキュメンタリーであって、マルクス主義唯物論の根底を成す社会的構成体の推移に等しい。(!!)つまり狸の資本主義的社会化(バケ、と読む)である。しかもそれがアニメーションである以上、事実を超えた奇想性と社会的メッセージの喚起が望ましい。これを興行的に成功させるというのは、何という優れた作家性であるか。これについて高畑、宮崎両監督と会社経営を共にする鈴木敏夫プロデューサーは、次のように述べている。
『高畑さんはやっぱりそうやって現実に対して影響を与える映画を作りたい人なんですね。それだからこそ、高畑作品は外国でも評価が高いんだと思います。狸というのは日本固有の動物で、外国人には馴染みがないわけですけれども、『狸』という映画を見れば、「日本という国ではこんなことが起きたんだろうな」ということが外国人にもありありと想像できるようになっている。日本の若い人が見ても分かるし、外国の人が見ても感心する。高畑勲という監督は本当に巧みな映画を作ります。』[5]
これに続いて鈴木プロデューサーは、「宮崎駿の高畑勲に対する複雑な思い、一種の愛憎関係」について言及している。これによってわれわれは、スタジオジブリの制作と作家性の駆動力となる根源的な人間関係の相克と組織の運営体制を知ることになる。
東大仏文科を卒業して1959年に東映動画に入社した高畑監督は、『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年公開)で、はじめて制作のトップに立った。高畑監督は、おおくの資料(『「ホルス」の映像表現』(アニメージュ文庫、徳間書店、1983年など)を公開して、この作品を解説している。このなかで、『太陽の王子』が当時の東映動画の労働問題や組合の自主管理運動と結び付いていたこと、ポール・グリモーの『やぶにらみの暴君』(1955年日本公開)を目標として挑戦したが、技術、能力の未熟から作品に不備が多いこと、高踏的な内容を指向して興業成績がともなわず東映動画に大きな負担を掛けたこと、学習院を卒業して東映動画に入社した宮崎駿が、場面設計・美術設計を担当して重要な役割を務めるようになった経緯などについて、いきいきと、しかし深い自戒の念を込めて述べている。
『太陽の王子』には、スタジオジブリの作品性の多くの根源があるが、それを要約すれば個人と集団、あるいは個人と社会に関する非常に洗練された、あるいは社会科学的に高度な見方ということになるであろう。この点でスタジオジブリは、他の制作スタジオの追随を許さない。
このように見れば、スタジオジブリのなかに、その特徴的な作品性を洗練する一種の組織的な構造性のあることが分かる。それは物語の構造性と自己組織的な脱構造性という二人の監督の対照的な物語性(narrativeness)であって、しかも二人の監督はライバルとして意識し、たがいの構造性と脱構造性を作品毎に、意識的に対比させながらより高度化しようとしている。たとえば「豚のつぎは狸だ!」とか。
スタジオジブリの両監督は、1960年代にアニメーションという文芸領域を選択した時点で、既存の芸術の市場に対して対抗的な立場をとることになった。テレビアニメ市場の拡大発展と軌を一にした彼らの活動は、この文芸領域の表現の革新を展開する集団としての活動、すなわちモダニズムに発展したのである。いくつかの試行錯誤の後に、スタジオジブリという独立した企業経営にたどり着き、徳間書店の徳間康快社長、日本テレビの氏家齊一郎会長の支援を受けて、芸術の制作と配信と公開にかんする独自の機構をもつようになった。この間の事情についてWikiPediaは次のように記述している。
『日本テレビと関係の深いスタジオジブリの作品に関して、氏家は高畑勲の監督作品、特に『ホーホケキョとなりの山田くん』を愛好し、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』については「俺には理解できない」と宮崎やプロデューサーの鈴木敏夫に直接話したという。氏家の「高畑さんの新作を見たい。大きな赤字を生んでも構わない。金はすべて俺が出す。俺の死に土産だ」という意向から『かぐや姫の物語』の企画がスタートした。予算やスケジュールを危ぶんだ鈴木は、「氏家に製作をやってもらう」という条件をつけた。氏家は作品の完成を見ることなく世を去ったが、その関わり故にポスターやクレジットに「製作」として名が記されることになった。』[6]
以上のように、ジブリの作家性は、ウィリアムズの定式化したモダニズムと前衛性=アヴァンギャルドに結び付いている。ここで前衛性とは、過去の作品を大胆に否定することによって、つねに作品的・技術的な突破を指向すること、そのなかで同時代的(=modernの原義)な社会問題に新しい視角を提供しようとすることである。ただしその方向性は一定ではない。
作品や両監督の発言から読み解くように、彼らの指向する社会思想と倫理観は、個人の啓蒙と自律性を重視する強いリベラリズムである。このリベラリズムは、政治思想としては、伝統的・共同体的権力や、戦争に対する根深い反対になる。その文化的指向としては、消費文化主義や環境破壊を批判することによって、ブルジョワの離反者としての立場を取ることになる。
このような思想的な立場は、興行成績よりも構造主義的手法を重視する高畑監督について鮮明である。高畑監督は、現在の日本のアニメーションの傾向性について以下のように批判している。
『その傾向とは、主人公の置かれた状況を客観的に示すことなく、観客を主人公についていくしかないところに追い込む傾向のことです。主人公の見る視野でしか世界を見ることができないので、主人公と同じようにどきどきしっぱなしになるけれど、その世界の仕組みがどうなっているかは知らされない。観客は判断力を封じられ、「我を忘れる」しかなく、主人公の行動を状況に照らして批判的に見たり、その行動にハラハラしたりすることはできないのです。(中略)「美しい心」なるものをはぐくもうとする以外、教育的とか啓蒙的とか、あるいは「役に立つ」漫画映画を目指す、などということは、日本では、冷笑されるか、ただうっとうしがられるだけの時代がここ何十年もつづいてきました。』 [7]
高畑監督は、日本の非理性的、非討議的で情動的な国民性が、第二次大戦開戦の時点から変わっていないことを理由に、憲法9条の改正に強く反対している。[8]
このように社会集団の運命に関する時間的な構造性を重視する高畑監督の制作手法は、視聴者が「大きな物語」から異化作用により客観的な距離を取る習慣を身に付けることによって、自律的で理性的な判断能力を涵養するという、青少年の人格の陶冶に資する戦略的な手法であることが分かる。なんという市民的理想主義的教養主義…
前衛=アヴァンギャルドとグローバルな市場経済の現状について、ウィリアムズは以下のように述べている。
『もう一つの変化は、とくに映画と視覚芸術と公告の分野で起こった。すなわち、かつては実験的で、現実の衝撃を引き起こし、挑発的だったアヴァンギャルドのいくつかの技法が、少数の文化の中心地に支配されている広域配信の商業アートの有効な慣習になったことである。他方で、アヴァンギャルドの多くの作品は、国際的な企業取引で直接売買される商品に変化した。(中略)それらの言語表現はいまなお不朽の革新性をもっているかもしれないが、反抗は消え、それ自体非常に流動的で、少なくとも表面的には意図的に方向性を明示しない見世物として計画的に商品化されている。』[9]
幸いなことに、両監督の率いる制作集団は、ウィリアムズの最初の引用のような反体制組織に発展して社会秩序の全体を攻撃する意図を持つことなく、後の引用のように、グローバルな市場に独自のニッチを確立し、これによって社会的地位を確立した後、2014年に長編アニメの制作から撤退した(ように見えた)。[10]
以上を要約すれば、20世紀中葉から始まって21世紀のゼロ年代を経てフタ桁年代に至るスタジオジブリの連続的な活動は、まったくポストモダン的ではなく、逆に典型的なモダンの芸術活動であり、今後とも文芸と視覚芸術の継続的革新を指向する後続集団に対して、両監督が望んだように一つのロールモデルを示していることが分かる。
【この稿終わり】
[1] レイモンド・ウィリアムズ『モダニズムの政治学:新順応主義者たちへの対抗』加藤洋介訳、九州大学出版会、2010年、29~30頁。
[2] ミラン・クンデラ『小説の技法』西永良成訳、岩波書店、2016年。
[3] スタジオジブリ編『ジブリの教科書7:紅の豚』文春ジブリ文庫、2014年。
[4] スタジオジブリ編『ジブリの教科書8:平成狸合戦ぽんぽこ』文春ジブリ文庫、2015年、75頁。
[5] 前掲書、53頁。
[6] https://ja.wikipedia.org/wiki/氏家齊一郎
[7] 高畑勲『漫画映画の志:『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』』、岩波書店、2007年、275~278頁。
[8] 高畑勲『君が戦争を欲しないならば』岩波ブックレット No.942、岩波書店、2015年。
[9] ウィリアムズ、前掲書、47頁。
[10] 館野仁美、平林享子構成『エンピツ戦記:誰もしらなかったスタジオジブリ』中央公論新社、2015年、186頁。